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2014.08.15 命の授業
kiyo

今年もやりました、こどもDIYキャンプ。近年恒例になっている、生きた鶏をさばいてそのいのちを頂くというのがメインイベント。加えて、アクティビティーとしての藍染めはおとなこどもみんなで楽しみました。

鶏の解体を初めて見る子はびびって逃げていましたが、昨年までに、すでに経験ずみの子はこんなにたくましいです。(もうちょっと慎みをもっては?)と思ってしまうほど思い切りのいい断頭ぶりです。

初めてこのキャンプに参加された奥様に「これって林家では日常なの?」と聞かれましたが、全然そんなことはありません。日常にしたいとは思ってますが、今居るのは20羽の合鴨ちゃんだけ。日常の動物性タンパク質は頂き物のお肉がメインです。5人のこどもも育ち盛りを迎えていますから、鶏くらいは早く採卵兼食肉用として飼いたいと思ってます。

そんなわけで、私としても1年ぶりの鶏の解体。このキャンプでは、こどもたちにできるだけ生の体験をさせたいということで、無理のない部分をどんどん手伝ってもらいます。まずは鶏小屋から食べるための鶏を5羽つかまえてくるところ。そのファーストタッチでいのちの温度を感じてもらいます。その後、狭い木箱に少しの間入れておきます。暗いところに入れておくと、鶏は睡眠モードになっておとなしくなります。その間に私的には「鶏さんのいのちを頂くってこんなに大切なことなんだよ」というレクチャーをするつもりでしたが、なんだかこどもたちはまるで聞く耳もたずに離散、そして中断。私は苦笑。

さて、次にいざ生きた鶏の命を抜く作業。
一番だいじなのは、できるだけ短時間に終わらせること。鶏に不要な苦しみを与えないために。
左ほお骨のすぐ下にある頸動脈を深くしっかり切ります。この時、首は落してはいけません。体から血を抜き切るために最後まで心臓を動かしておきたいからです。これがなかなか難しい。慣れないと、ナイフを深く入れられません。すると血があまりでずになかなか息絶えてくれず、苦しくてずっと暴れさせてしまいます。切る場所をしっかり確認し、ためらわずにざっくりいくことです。この役目、一番気が重い仕事でありますけれど、鶏わんにとっても大事な部分なので、私と、3回目の経験者である別のパパがやりました。

うまくいけば1分、少し長めでも3分ほどで絶命します。

これを見ていたうちの長男。
あとになって聞いたこの時の感想は、
「人間って勝手だなあ、と思った」

まことにその通りなんです。私もほんとにそう思います。特に、生きたくて暴れる鶏を力ずくで押さえつけてその首を掻き切るときには心がびりびりするくらいそう感じます。だからこそ、これをやっているんです、毎年。

お肉といえば、スーパーでパック詰めされているきれいな塊しか思い浮かべませんよね、普通。
でもみんな生きていたんですよね。これ、当たり前の事実なんですけど、それを実感してる人ってどれくらいいるんでしょうか?別にそんな実感は必要ないって思う人もいるでしょう。大多数はそうかもしれません。

でも私はどうしてもそこにこだわりたい。
他の命を奪って私たちは生きているという事実。
これ、この地球に生きるすべての生き物の掟。
でもいつからか、人間だけが自分は別格だと勝手に勘違いしてしまっている。

例えば、陸の王者ライオンだって、必死で獲物をつかまえるために走り回る。老いてきたら走るのが遅くなってなかなか食べるものをつかまえられずに飢えていくこともあるでしょう。いくら強者でも、食べるために命をかけてるんですよね。人間も、食べることに命をかけるほど真剣にならなくちゃいけないんだと思う。飽食のこの国にあるからこそ、意識的にそれを思いながら食べなくちゃいけないと思ってしまいます。

1泊2日のこのキャンプが終わるとき、毎年、参加してくれたパパやママに感想をお聞きします。
感じかたはいろいろですけれど、みなさんそれぞれ参加して良かったと言ってくれます。
それを聞いて私も、「ああ、今年もこのキャンプをやって良かったんだなあ」と思えるのです。

我が家で「肉大臣」を任命している、お肉大好きの次男は、早くも20羽の合鴨に脂肪がのり、食べごろになるのを楽しみにしています。そのために毎日喜んで餌をやりに行ってくれています。彼はこのキャンプでも最後まで骨をしゃぶっておりました。親の私よりもたくましく育っています。これが我が家流の食育現場。学校では絶対に教えられない命の授業なんです。

camp member






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