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tea leaf picking

 今年の梅雨はまったく梅雨らしい天気が続いていますね。

 丸太の刻みは外仕事なので雨が降るとできません。雨の合間を縫ってというのも少し難しい仕事です。というのは、丸太に記すカットラインは墨つぼという特殊な道具を使います。それは長い直線を正確に引くためのものですが、墨汁をしみこませた糸をぴんと張ってそれをはじくことで直線を木面に写すのです。それが雨が降ってしまうとにじんだり流れてしまったりするのです。今やっている丸太の太鼓引きではこの「墨付け」という仕事にとても神経と時間を費やします。だから少なくとも半日は雨の合間がないとすすまないのです。そんな状況ながら、おとといには土台の一段目となる7本の丸太の太鼓引きがすべて終わりました。次にまとまって雨の合間ができたら、それに防腐処理をしていきます。

 さて、連日の雨で建築仕事はぼちぼちですが、梅雨どきだからこそ旬の仕事もあります。それは一番茶の茶摘みです。昨年に初チャレンジしてなかなかの成功をおさめたお茶づくりでしたが、今年は建築仕事に押されてファーストピッキングのタイミングが少々遅れてしまいました。本当は入梅の前が葉がやわらかくてベストなのです。緑茶ではそのやわらかい茶葉だけを使った一番茶がとても貴重ですね。我が家の茶摘はぜんぶ手で摘むのでこのときも人手が要ります。今回はとてもタイミングよく女性のウーファーさんがふたり滞在してくれていたので、大助かりでした。

 我が家ではお茶作りの際、天気やそのときの気分で何のお茶をつくるかを決めます。選択肢は「緑茶」「紅茶」「ウーロン茶」です。今年の一番茶なににしようかとウーファーさんに相談していたとき、飲んでいたのが昨年作った紅茶でした。それがあまりにも好評だったので、紅茶づくりということに即決定。

 紅茶づくりにはそのプロセスの上で他のお茶と比べて少々時間がかかります。茶摘した茶葉をまずは「萎凋(いちょう)」といってしおれさせます。摘んだあとにしおれるまで1日ほど置くことで葉の中の酵素の働きによって香りと味が作られるのです。摘んだばかりの茶葉はとくに匂いはしませんが、1日おくことでほのかな甘い匂いがしてきます。次に茶葉をもみます。少量ずつ手にとって両手をすり合わせるようにもんでいきます。これは次の発酵を促進させるための準備です。もむと葉から酸化酵素を含む汁がでてきます。これが空気にふれると酸化発酵がすすむのです。量も多いですからこれに1時間くらいかかります。そして発酵です。湿度を高く保って20~25度の温度をキープします。今回は発泡スチロールの箱にお湯を張ってその中に茶葉をいれました。発酵の段階に入ると、茶葉はすぐに茶色に変色し、紅茶と同じようないい香りが部屋に満ちてきます。そして最後に乾燥。家庭では量がそんなに多くないのでフライパンでOKです。初めはぱちぱちと水分がはじける音がしますが、そのうちからからになって、ちょっと握るとぱらぱらと葉が砕けるようになります。それでできあがり。

 今回一緒に作業したお姉さんのひとりは、紅茶大国イギリスのひと。でも紅茶づくりははじめてということでした。かの国では紅茶はすべてインドなど、かつての植民地だった国々からの輸入です。ちなみに、イギリスでは紅茶のことはたんに「tea」といいます。ほかのお茶と区別するときには「black tea」というそうです。それを知るまで、私は勝手に紅茶のことを英語で「english tea」と言っていましたが、それは間違いであることにきづきました。確かに、色はほとんど黒に近い茶色ですからね。

 そして今回の出来上がりはちょっとウーロン茶に近い苦味のある濃厚な紅茶に仕上がりました。雨で温度があがらず、萎凋の段階がうまく進まなかったのが一因かなあと思いますが、それでも「こういう紅茶の種類もあるよね」と、ウーファーさんたちにははじめての紅茶づくりにご満足をいただけたようでした。

 茶葉は5月から9月頃にかけて3回くらい摘むことができます。次回は夏の盛りで、茶葉は大きく成長している時期。香りよりも味の強いお茶ができます。一回ごとに経験を積んで楽しみも増す手作り茶づくり。次回も楽しみです。



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2010.06.15 刻み初め
foundation.jpg

 ついに丸太の刻みにはいりました。

 2年前の夏から切り始め、皮むきに膨大な時間を費やし、試行錯誤の中で山の斜面を引きずり上げて現在ストックしてある丸太の山の中から初めの1本を選び出し、刻みを始めました。

 この材は家の土台となる部材です。長さ11m、根元の直径(元口)が35㎝、先の直径(末口)が20cm。この丸太を昨日はチェンソーで上面と下面を平らにする「太鼓引き」という加工をしました。ふつうの家ではこんな長い材料を使うことはありません。この半分くらいの長さの材を継いで使います。けれど、私の場合はその継ぎ手の加工にいまいち自信がないのと、強度的により優れているため、11mの1本どりにしました。

 最初の1本を丸太の山から選び出し、ユンボで吊り上げて台に載せ、チェンソーのエンジン音とともにそれを刻み始めたとき、今まで費やしてきた準備期間の思い出がアルバムのように頭の中によみがえり、「あー、やっとここまでたどり着いたなあ」と感慨ひとしお。そしてようやく建築作業の本番に入ったことでからだにわくわくエネルギーがもりもりと沸いてくるのを感じました。

 これからは雨の季節が続きますが、雨の合間を縫って刻みの作業をこつこつと進めていきます。ある程度の部材をそろえて、夏には1階部分の柱を立ち上げたいなあと思っています。

manjuu.jpg

 この日は出来上がったコンクリート柱の上に丸太柱を設置する作業。長さ30センチの丸太は土台を下から支えるもの。地面からの湿気に一番さらされる部分なので、この部材の防腐対策だけは念をいれておきました。材料はこれも杉。これをはじめに真っ黒になるまで焼いておきます。木は炭化しているところは腐りにくく、しかも虫が食わないのです。合成の防腐塗料のなかった時代にはみんなこうして処理をしていました。私はさらに念を入れてその上からキシラデコールという防腐・防虫塗料を2度塗りしました。これで対策はばっちりです。

 コンクリート基礎の上にこの丸太をのせる際には、丸太との間にモルタルを少し盛ってやります。これ、「まんじゅう」と呼ぶらしいのですが、素人の私は何度も間違えて「あんこ」と呼んでしまいました。これはコンクリート上に溜まった雨水が丸太の下面に直接触れないようにすることと、丸太とコンクリートをぴったりと密着させる目的があります。

 この作業、すべてのコンクリート柱(57箇所)にわたってやりました。セメント作業は土がついたりするとまずいのでちょっと神経を使います。しかも数が多いので半ばを過ぎると結構わたしもしんどくなってきました。そこへ登場してきたのが我がちびギャングたち。繊細な作業をしている周りで大声で走り回り、「ダメ」と言ってるのに気づいたらコンクリートに土がのっている・・・ついに鬼と化しそうに震える私。

 その状況を救ったのが新星現場監督の声でした。
 「じゃあ君たちにも手伝ってもらおうかなあ」

 内心私は(えーっ、この仕事はちょっと無理でしょー!)と思いきや、ちびギャングたちの顔色が一変、1分後にはもくもくとコテを手にもち、まんじゅうを作っていました。その目はまさに職人の目。びっくりです。
 私も日頃、こどもには何でもチャレンジさせて、経験させてやりたいと思ってはいるのですが、ついつい作業を邪魔されたくないフツーのエゴが先にたってこどもを追い払ってしまったりします。しかもこのときは私の予想をはるかに超える良い仕事を彼らはやってくれたのでした。

 大人が信ずればこどもの芽は驚くほど伸びていくものです。その成長を妨げているのは側にいる大人であることがほとんど。「(あれをやっちゃ)ダメ」「(これもやっちゃ)ダメ」と一日何回叫んでいることでしょうか。

 この日は当たり前になりかけていた最近の私の親としての態度に反省。まずは自分がこころにゆとりをもたなくちゃなあと言い聞かせました。

 目の色を変えて、与えてもらった仕事に一生懸命に取り組むわが子たちを見てその新星現場監督様、
 「ここは最高の保育園だね」。

 その嬉しいお言葉は、ここへ移住してきた初心をあらためて思いおこさせてくれました。

RA.jpg


 今日は薪割りの一日でした。

 ちょうど一週間前、お知り合いになった熊本の薪ストーブ屋の若店長さんのお誘いで、薪割り会に参加してきました。その前日にはその薪割り会の準備もお手伝いさせていただきました。そのごほうびに頂戴した軽トラック2杯分のくぬぎの薪。今日はそれを全部玉切り(チェンソーで使いやすい一定の長さに切ること)して斧で割り、薪小屋に積みました。直径は平均およそ15センチ。玉切りした木は約140個。広葉樹であるくぬぎはストーブ用の薪としてはとても上質だそうです。成長は結構早くて、このあたりの山にもよく植えられていて、主にしいたけ栽培の原木に利用されています。私はストーブ用の薪として使うのは今回が初めてなので、よく使っている杉に比べてどれくらい火持ちがいいのかとても楽しみです。今日割った薪がもし杉だったら、真冬にはひと月弱の燃料となりますが、くぬぎは状態がよければその3倍くらいは持つようなので、とても高燃費になります。

 さて、その薪割りに活躍したのが写真の斧。これはスウェーデン製の斧で、グレンスフォシュ・ブルークスという名の斧です。日本製の斧もいい斧がたくさんありますが、私はこの斧だけは西洋斧に軍配があがると思っています。というのは、これは機械が大量生産する工場製品ではなく、熟練した職人さんがひとつひとつを手仕事で作っているのです。しかも、ひとりの職人さんが斧作りの全ての工程に渡って責任をもってひとつの斧を仕上げます。分業ではなく、ひとつひとつの斧に魂をこめて作り上げているのです。その証に、斧頭には製造者のイニシャルが刻まれています。私の斧は、ルーン・アンダーソン氏の作品で、その側面に「RA」というアルファベットが見えます。

 この斧を手に持って使ってみると、その手抜きの一切ない質実剛健な本物の実感が伝わってきます。いくら使ってもがたつきのこない斧頭のジョイント、髭もそれるくらいに研がれた斧先、鍛造された鉄の繊細で逞しい質感、手にもつ時しっくり馴染むように形づくられた柄。スウェーデンという遠くはなれた異国の工場で作られたものであっても、なおその使いやすさは普遍的なものがあります。これからも私たちの生活にとって薪づくりは生きていくための仕事。ルーン・アンダーソンさんに恥ずかしくないようにこの斧をいつまでもかわいがっていきたいものです。
concrete basement finished

 独立基礎部分のコンクリートが固まり、型枠も外しました。ところが、開けてみるとコンクリートの表面が結構穴だらけ。というのは、コンクリートを流し込む際に、あぜ波で作った型枠が軽かったので浮き上がってしまい、十分に突きまわせなかったからです。コンクリートは石・砂・セメント・水が混ぜ合わさったものですが、粘度が高いので枠に入れたら棒でよく突き回さないと間に小さい空間が空いてしまうのです。
 
 どうしたものかと困った状況でしたが、なんとも強い味方がそこにいました。それは今滞在しているウーファーさん。彼は60歳で元大手ゼネコン社員のSさん。Sさんはその穴を「ジャンガ(たぶん業界用語)」と呼び、このコンクリートの状態と予想される事態から適切な処置方法を直ちに選択し、修復作業にとりかかりました。大きな穴には砂とセメントを混ぜあわせたモルタルをつめこみ、細かな亀裂には「ノロ(これも業界用語)」と言って、セメントと少量の水だけの接着剤のようなもので隙間を埋めました。

 そしてそのあとは土の埋め戻しです。独立基礎部の上だけを残して周囲に掘りあげた土を基礎を作るために作った溝に戻していきました。結構タフな作業ですが、このときも、Sさんが現場監督になり、すべての作業が効率よくすすみ、たった1日で終了しました。建設作業というのは経験によって得られるちょっとした段取りのうまさ、やり方というのがとても大事です。

 このタイミングで偶然居合わせたSさんの存在。人と人との出会いはやっぱり必然なんだなあと再び実感でした。
 みなさんご存知のように、隣の宮崎県では今、たくさんの牛や豚が殺されています。それに心を痛めているのは畜産農家の方々のみならず、一般消費者の方も少なからぬ方が「どうにかならないものか」と思われているようです。
 けれど、私はこの一件が、その根底に巣くう問題の本質を世に訴えているように思われます。このメッセージはあるHP上にて掲載されていたものです。みなさんも違う角度からこの問題を一緒に考えてみてください。(以下、転用)




ぼくは牛です

普段はしゃべることはできないんだけど
今日は特別に人間語を話せる魔法をかけてもらったんだ

今ね、日本の宮崎県っていうところで
口蹄疫という病気が流行ってるよね

ぼくら牛とか友達の豚とかヤギとかキリンとかシカとか…
足の爪が偶数に割れてる動物の間で感染する病気なんだ

自然界に生きる僕らの仲間が感染してもさ
大病にはならないんだけど
家畜として飼育されてるとさ
なんせ人口密度?家畜数密度?が濃いからさあ
すぐにドバーっと感染しちゃって

症状は口とか足とかが水ぶくれになって
食欲が落ちるから体重が減るんだよね
そしたら人間にとっては
肉質が悪くなるとかで価値が下がるみたいで
そうなると育てる意味がなくなるみたい
そして感染速度の速い病気だから
もう、殺すしかないんだって

一緒に住んでる仲間の1人でも感染してたら
全員殺されるんだって


もしも人間界でさあ
クラスに1人でもインフルエンザに感染したら
その学校の生徒全員殺します
社内で1人でもインフルエンザに感染したら
その会社の社員全員殺します
町内で1人でも感染者が出たら
その町の住人全員殺します
って決まりができたらどうだい?



ぼくらはそんな決まりの中で生きて、殺されていくんだ

もっとも、その理由で殺されなくったって
ゆくゆくはもっと恐ろしい目に遭うんだけどさ

ぼくらを育ててくれてる農家さんは泣くんだよ

ごめんな
ちゃんと育て切らないうちに殺してしまうことになって
ごめんな
怖い思いをさせて
ごめんな
元気なおまえまで巻き添え食わせて
ごめんな

って、涙を流して泣くんだよ。

その光景はきっと日本中の多くの人に
ぼくらのことをかわいそうだと思ってもらえたと思う

ぼくらはさ
どの段階が人間の言う
ちゃんと育ち切った状態なのか知らないけどさ

やっと一人前になったかなって思った頃に
突然トラックがやってきて
育ててくれた人に手を振って見送られて
知らないとこだけど恐ろしくて怖いってことは感じ取れる場所へ
連れて行かれて
怖くて足がすくんでると電気棒でお尻を叩かれて前へ進まされて
額に電気ショックを当てられて気絶して
目が覚めたら足の1本をヒモで縛られて逆さ吊りになってて
なんだよやめてくれよってもがいてもとれなくて
のどをズバッと切り裂かれて
血がどくどくと流れ出して
ぐるじい、、だずげで… と訴えてるのに
足とか腕をどんどん切り落とされて体がバラバラになっていって
意識はいつまでも残っていて…
こんな一大事なのに誰も助けてくれないし
育ててくれた人はもう知らん顔だし
日本中の誰もが知らん顔

みなさんにお初にお目にかかるのは
スーパーのパックの中

ちなみにどんなにバラバラにされても
意識はちゃんと残ってるんだよ
だれがどんな風にぼくらを飲み込んだのか
見届けてるんだ
胃袋の中に入って消化されたって
意識は残っているんだよ

まあそれは今はいいけれど

ともかく
そんな切ない最期よりも
育ててくれた人が涙する目の前で
血を出さずに殺されて
運がよければ焼いてもらえ
その手間がかけられない場合でも
ちゃんと埋葬してもらえる
手も足もくっついたまま埋葬されて
手を合わせてもらえるんだ
日本中の人からも
かわいそうね、って思ってもらえる

この病気で死ぬ方が
ぼくらにとっては穏やかな気持ちで成仏できるんだ


今回のできごとはさ
世界中にいるぼくらの仲間で話し合って
決めたことなんだよ

この方法しかなかったんだ

ぼくらの気持ちを伝える方法は
これしかもう思いつかなかったんだ

どんなにたくさんの人間たちに迷惑がかかろうとも
もうぼくらにはこれしかなかったんだ

ただ、わかってもらいたい一心だったんだ

日頃、ぼくらがどんなに悲しい思いをしているのか
ってことを…


だからおねがい

被害額がいくらだとか
損失がどうだとか
保障がどうだとか
畜産業がどうなるとか
他の業界への影響がどうだとか
責任は誰にあるのかとか

その心配をしながらでもいいです

どうか問題の本質に目を向けてください

いくら保障をしても
畜産農家を支援しても
地域を支援しても
募金をしても

問題の本質から目を逸らさないでください

人間という生物は本当に栄養学的に
ぼくらを日常的に食べないと生きていけないのか

ぼくらに対するこのような残虐行為が
人間どうしの争いに影響を及ぼしていることはないのか

ぼくらを食べるために飼育することは
地球の環境にとって最善なのか

地球上では全ての人に行き渡る充分な量の穀物があるのに
ぼくたちを養うためにそれが行き渡っていない
ということはないのか

ぼくらをこんな風に扱うことによって
人間としての魂の成長は得られるのか




援助や募金をするのなら
畜産農家さんたちが別の職業につけるように
どうか支援してください

屠殺業者さんが別の職業につけるように
支援してください

精肉業者さんが別の職業につけるように
支援してください

ぼくらが家畜制度から解放されるように
環境を整えてください

ぼくらを食物として扱わない
新しい文明をつくる努力をしてください


ぼくにしゃべれる魔法をかけてくれてありがとう


ぼくらの気持ちをブログや日記、ツイッターなどで
伝えてくれている多くのみなさん
ありがとうございます

つたないぼくの話よりももっと詳しくわかる日記を
紹介しておきますので

どうか読んで考えてみてください

http://mixi.jp/view_diary.pl?full=1&id=1493900375&owner_id=7780041
空さん「口蹄疫と偽善者たち」

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1493731282&owner_id=9752956
ビンカさん「畜産農家の被害?【口蹄疫】


最後まで読んでくれて
どうもありがとうございました


ぼくはうしですそっぺ


追伸:
ひとつ言い忘れてたことがあったんだけど
というか、本当は言ってたんだけど取り消してたことがあるんだ
でも大切なことだからやっぱり言うことにしたよ

それはね

ぼくらは人間が大好きだってこと

ぼくらはね
人間が大好きなんだよ
人間のために働くことが大好き
重い物だって力持ちだから平気だし
退屈な作業だって飽きずにできる

一生懸命働いて人間の役に立って
喜んでもらってかわいがってもらえると
すっごく嬉しいしもっと役に立ちたいと思うんだ

ぼくらが人間にできない仕事をやって
人間たちがぼくらのお世話をしてくれるなら
ぼくらは死んだあと人間たちに
食べてもらうことも喜びのうちなんだよ
ぼくらをかわいがってくれる大好きな飼い主さんが
食べ物がなくてお腹を空かしているならば
ぼくは喜んでこの身を捧げるよ

ぼくらと人間はそういう関係だったんだと思うんだ

大好きな人のためなら死ねる

人間のみなさんもぼくらもその気持ちは同じだよ


長くなっちゃったね
読んでくれてありがとう

また魔法をかけてもらって
お話できたらいいな

ありがとう

うしより
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