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公園

 ここは家から徒歩数分の丘の上の公園。
 公園といっても遊具はひとつもありません。そのかわりに四季折々の花や木の実、転がっている丸太や草の葉が子供の遊び道具になります。
 動き盛りの長女はこのひろい広い公園を思いっきり走り回るのが大好き。

 そんな私達の貸切り公園に、この日は日本人のウーフの女の子と一緒にやってきました。
走り回る長女の遥か後方に小さく見えるのが手をつないでお散歩の長男とのお姿。

 ウーフの彼女は子供好き。ニュージーランドでは地元の小学校で日本語を教えるボランティアをしていたくらいで、シャイな長女もすぐにお友達。子供好きのゲストは我が家にとってはとても貴重な存在です。

 最近の長女は少し変わってきました。
 これまでは成長とともに増大するエネルギーをもてあまし、家の中で常にイライラでしたが、最近は彼女自身の自他境界がしっかりしてきたようで、自分のなかでいろんなことを消化できるようになってきました。そして初めて出会う大人とも、自分なりのペースを保ちながら、楽しんで一緒にいられるようになってきています。生まれてからの数ヶ月はいつも怯えて泣き続けていたこの子を思うと、遥かな成長です。

 子供はどんな環境にあっても必ず成長する力をもっている。
 子育てとは、社会に適応する力を身につけさせることではなくて、いかなる環境においても自分が主体となって判断し、選択して進む力を養う手助けだと思っている。だから、この幼少期における保育にしても、与えられた状況において、大切にすべきことを見失わなければ、しっかりと子供は育つものと思っている。

 うちの子は子供との接触よりも大人との出会いが多い。
 この夏からはとくに外国からのお客さんが多くてなおさらです。

 地元に住むおじさんからいい話をききました。
 「この田舎の子は大人に囲まれて育つ。だからしっかりと目上の者に対して挨拶や話ができる。素直だから都会にでると悪い人間に初めはとまどうこともあるが、それを乗り越えた時には人にかわいがられ、何倍も立派な人間になる」

 同世代の子供にもまれて育った子、かたや大人ばかりに囲まれて育った子、どちらも大切なものを見失わなければ、その子なりの道をしっかり歩いていける。自分もそうだけれど、なにかうまくいかないことをとかく環境のせいにしがちだけれど、この与えられた状況が自分の道。その道を覚悟してしっかりと踏みしめていくことにだけ一所懸命であればいい。そうすれば、自然と与えられたものがいかに恵まれていたものであったかが見えてくるような気がする。

 散歩もそんなものかな。子供と歩く散歩は、いつも踏み潰しているだけの足元の木の実がいかに素敵であったかを気づかせてくれるもの。「ああ、木の実ってこんなきれいな色してたんだ」と、ただひたすらに夢中にそれをひろい続ける三人の我が子を見てそう感じた秋の日でした。
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カルカッタ

 わたしは96年にニュージーランドから帰国したあと、再び1年間の学業に戻り、同時に就職戦線のまんなかにいきなり立たされました。しかし自分がどこに向かって進むべきかどうにも先が見えずに悩み、名目だけの卒業証書を受け取った直後に再び自分探しの旅にでました。

 選んだ最初の渡航地はカルカッタ。マハトマ・ガンジーに強い尊敬の念を抱いていた私は、その足跡をたどることも旅の目的のひとつでした。しかしカルカッタは私を思いもよらぬ道へ導いてくれました。11年前のカルカッタはまだ路上生活者の町。サダルストリートで一番の安宿に泊まりながらも、刑務所のような頑丈な鉄門から一歩外に出ると物乞いの渦に巻き込まれて歩くこともままならない世界。その中で導かれていったのは、マザー・テレサが設立した協会、Missionaries of Charityでした。最貧者の中に神を見て、愛の奉仕に生涯を捧げた彼女に出会い、協力者の一員としてその後5ヶ月間をすごすことになりました。それが私の作業療法士としての原点となったのです。

 インドは無知な私に多くを教えてくれました。人とのかかわりの中で生きること、無償の愛、経済格差の現実、そして私に与えられた役割。メリーモントはその私に与えられた役割を実践する場所。私にだからこそできることをここで形にしていきたい。
阿蘇草原

 「merriemont」はかつてニュージーランドのオークランド郊外にあったファームの名前です。

 私は1995年の春、大学3年を終えると1年間大学を休んでニュージーランドへ行きました。ワーキングホリデービザを利用しての長期滞在。目的は英語を身につけることとラグビー、そして将来の道を考えるためのモラトリアム期間でした。

 牧場で働くことがひとつの夢であった私は、95年の冬にWWOOFに登録して、オークランド郊外のPAPAKURAという地域にあるそのファームを訪れました。
 そこは女主人がひとりで生活していた小規模な農畜複合農家でした。家畜は牛3頭に羊十数頭。鶏も10羽前後。ペットの犬が2匹に猫数匹。さらに馬が1頭。周囲は低い丘陵と牧草地に囲まれたとても穏やかで平和な空間でした。
 朝霧に立ちこめる牧草地、庭に生える緑の芝生、騒音の一切ない静かな世界に聞こえる牛や羊のささやき、スコールの匂い、わたしの五感に刻まれたその風景は心の中の原風景になっていきました。

 女主人は私の親に近い年齢で、大分以前に離婚し、2人の息子を育てあげ、当時は一人でワーキングウーマンをしていました。古い木造家屋でしたが、彼女はその家が大のお気に入り。快活でおしゃべり好きな彼女の野望はそこで日本を始めとした外国からの語学留学生を集めてファームステイさせながら英語を教えることでした。
 しかし家計を支えるためにオークランド市内に出て働いていたものの、農園の借金を返済しきれずにとうとう、私がニュージーランド滞在中に自宅を含めた農園のすべてを売却せざるをえなくなったのです。

 あれから12年が経ち、今度は私自身が自分のフィールドをもって夢を形にしつつあります。12年前に何ももたずにただ若さとエネルギーだけがあった私を迎えてくれたmerriemont。自然と共存する生活を実践する女主人の夢を継ぐ意味もこめて、現在建設中の農園を同じ「merriemont」と命名することにしたのです。
皮むき

ここ阿蘇へ移住してから1年が過ぎました。
小さな集落ですが、地域のみなさんにあたたかく迎えて頂き、同じ世代の友人や年輩の方々に支えられて生活が安定してきました。

このメリーモントという農園をどんな空間にしていきたいかという自分の夢と、現実生活のなかで実現してゆけるものとのバランスがようやく見えてきたのでその構想を少しまとめてみようかと考えています。

メリーモントのコンセプトをいくつかにまとめてみます。

①人間と自然が調和してお互いを支えあう生活様式を基本とします
 自分の子供たちの世代が安心して生きていられる地球にするために、今わたしたちがすべきこと、それを考えています。生活をよりシンプルに、自分と自然にやさしくするために化石エネルギーの消費を可能な限り抑えます。太陽や薪をエネルギーの源として利用します。人類にとって危険な原子力発電を減らすために電力の消費を抑え、必要な電力は太陽から自家発電して利用します。食べ物についても、安心という理由からだけでなく、エネルギー消費や貧国からの搾取という観点からも自給自足をめざします。

②さまざまな人々が支えあう小さな社会
 ここメリーモントはおよそ2000坪の敷地。大きくはありませんが、わたしたち家族はさまざまなひとたちと共に生活を営んでいきたいと考えています。地球上に暮らす人類がともに未来をつくってゆくために、さまざまな立場や境遇にある者どうしがお互いを知り合い理解する場となることを願っています。

③障害をもつこどもたちとその家族が元気になれる場所
 私は作業療法士としてこれまで障害をもつこどもたちの治療にたずさわってきました。その中でセラピストの私にとって最も大切に感じていたことは、彼ら自身が内からの光を輝かせることです。わたしはこの自然豊かなメリーモントの中で彼らがその光を輝かせる瞬間をともに共有したいと願っています。同時に、彼らと生活している家族の方々には心から休まれる時間を提供したいと思っています。


 そんなメリーモントの建設はほとんどが手作りでおこなわれているので、形になるまでは長い道のりです。これまでの1年間は敷地内の造成と畑の原型づくりがおこなわれました。現在おこなっているのは、来年着工予定の自宅建設用の材木の伐採と皮むきです。

 今後の予定は
2009年夏、自宅建設開始~2010年中までに完成。
完成後に私達家族は今の借家からメリーモント内へ移り住みます。
2011年~2012年に障害をもつこどもたちとその家族のための小規模宿泊施設を建設。

 当面の予定はこんなところです。この予定は、私が子供3人の子育てをしながらの計画なので、この建設計画に協力していただけるワークステイやボランティアの方々によって変わってゆくでしょう。
ぴよぴよ

ひよこ孵化計画スタートから4ヶ月、4度目のチャレンジがようやく実をむすびました。

これまでの一番の失敗原因は転卵のやり方にあったようでした。
今回はチェック表をつくって夜中にも目覚まし時計をかけてがんばりました。

その甲斐あって、たったの一羽でしたが、元気なひよこが誕生しました。

9月4日の夜は予定日の前日、孵卵機の中からかすかに「ぴ、ぴ、」の声が。
見てみるとひとつの卵にくちばしであけたちいさな穴が空いています。
穴の空いたそのまあるい卵の中からそのかわいらしい声だけが時折聞こえるのです。
こどもたちも飛んで集まり、歓声をあげました。

中から自力で出てくるのには時間がかかります。
その夜はその子の力を信じて床につきました。

その翌日の朝、ぱっくりと殻を割ってこの子が誕生していました。
初めての体験に大人も感動。
まだぬれている羽毛。
よたよたと懸命に立ち上がろうとするけなげさ。

これから大事な家族がひとり増えた瞬間でした。


2008.09.04 自主保育
自主保育

先日、ついに自主保育をスタートした。
移住直後から探していた自主保育のパートナーがついに見つかったのだ。

この地域の就学前の子供たちはほぼ100%保育園へ預けられている。
以前、可能性のありそうだった同じ移住族の一家も里帰りしてしまった。
そうこうしているうちに子供たちは成長とともにエネルギーをもてあまし、家の中は毎日戦争状態。

自主保育に賛同したのは麓に住むお友達のお母さん。
エネルギッシュで活動的な彼女との出会いで「やってみよう!」ということになった。

就学前では認可を受けた幼稚園に子供を預けるというのが一般的。
しかし私たちの住んでいるこの山奥には幼稚園はありません。
過疎地域なので子供も少なく、あるのは真新しい一軒の保育園。
町営のいくつかの保育園が統合されてできたものですが、とてつもなく大きな青空の中にあってもったいないほど小さな園庭。しかもぐるりと鉄柵で囲まれていて、中には人工的な遊具ばかり。
大自然の中での生活を求めて移住してきたわたしたちには、そこに自分の子供を預ける理由はみつからなかった。

物理的環境以外にも保育園を選択しない理由はある。
ひとつは、自我の形成期にあるこどもの成育に責任をもちたいという思い。
これは保育園や幼稚園に預けるから親として無責任とかいう意味ではない。
いろんな理由で子供を預けることには同意するし、子供がその中の社会に所属することではぐくまれる社会性や自我もある。しかし、仕事柄いろんな保育園や幼稚園をみてきて、やはり組織運営のデメリットがこどもへのしわ寄せになっていることは多かれ少なかれあるように感じる。

またひとつの理由は、今の日本社会の問題の根底が地域社会のもろさに起因していること。
教育や福祉、医療、さまざまなサービスがお金を介して誰の目にも明らかなように手に入れられるようになったことは良いことだが、その反面、そのお金を稼ぐために人は時間を奪われている。そして人と人との情のつながりよりも、お金がつなぐドライでシンプルな人間関係が社会の基盤を形成するようになってきた。
その社会を少しだけいい方に変えてゆきたいという思い。
それが自主保育を選択する強い理由。

自主保育では、我が子以外のこどもの保育者にもなることで、他の子までわが子のようにかわいく思えてくる。ということは、わが子にも自分以外にわが子のようにかわいがって心配し怒り愛する大人がいるということ。こうしたかかわりの中で育つ小さなたましいがこれからの虹色の新しい社会を築く根っこになっていくはず。

そんないろんな思いをこめてスタートした自主保育の芽。
試行錯誤の手作り保育だが、わたし達に雛形は必要ない。
この地だからこそ、わたし達にだからこそできる育児を楽しんでいきたいと思う。
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